小生の卒業から、40年が過ぎた。
この時間の流れを如実に感じられるものがあるとすれば、自分自身の変化というよりも、むしろ故郷ともいうべき大学そのものの変貌ぶりだろう。
母校を拠点とした研究会に所属している関係もあり、折に触れて来学してはいたが、ここのところの再開発?には目を見張るものがある。
白亜の殿堂、立派なビルが立ち並ぶ。
行き交う学生も、当時とはなにか異質な雰囲気を醸している。
かまやつひろしの「我がよき友よ」の一節が頭をよぎる。

毎年開催される、大学祭!
在学当時は、ごく少数のテントと学内でのイベントに限られていた。
外部の来訪者もチラホラ程度。
飲兵衛の小生は、ひたすら先輩のお流れにあずかっていた。

近年、学際において全国各県が持ち回りで担当するブースが新設され、我こそはと手を挙げた同窓会県支部が、ご当地の特産物などを販売アピールすることとしている。
もちろんそれなりの経費と労力の確保が可能な県支部に絞られるとはいうものの、毎年その立候補は後を絶たず、エントリーしても何年も待たなければならない状況が続いている。

岐阜県も、四年の待機を経て、晴れて出店となった。
岐阜県の特産でメジャーどころと言えば、先ずは飛騨牛だろう。
これは高価だ。
しかし幸いにもこの分野は我々の守備範囲であり、同窓の仲間にも関係業者がいる。
そうなれば話は別で、お互いに採算度返しの超法規的な準備ができるというものだ。

惜し気もなく、A5ランクの飛騨牛100キロが用意された。
加えて、明宝ハム111本。
下準備もお任せしたうえで、大学本部に輸送。
次の日には本番を迎えるばかりの体制を整えた。

例年、このブースの人気はすさまじく、瞬く間に売れ切れるのが慣例であり、赤字など想定外。
本支部会でも、それを信じて疑うことはなかった。
当然、初日で完売、むしろ二日目の分をいくらか残しておく必要があるくらいにタカをくくっていた。

ところがである。
台風21号が、まさに狙い定めたように、この二日間を襲った。
両日とも朝からの雨。
それも本降りだ。
それでも初日はそれなりの売り上げがあったものの、予定をはるかに下回る。
翌日は台風の接近で更なる悪天候が予想されたが、本部と県人会在学生による歓迎会「ぎふナイト」が催された。
学長、同窓会長、関係教授、在校生…。
それぞれの暖かい持て成しを受けながら、己のアイデンティティーを確認する。
さあ、明日は正念場!
二次会も早々に切り上げて宿に。

開催自体が危ぶまれた二日目だが、天候の推移を観ながら、いつ切り上げるかもしれない中での見切り発車。
雨に加え、風も強まる現場であったが、さすがは麻布。
近隣住民はもとより、同窓の思いは強く、それぞれの立場を駆使して集客と持参した現物処理に奔走してくれる。
次々に、水面下の注文が入り、大学本部の配慮とともにほぼ完売を達成できた。
加えて言うなら、今回このイベントに出向いた支部会員は、なんと総勢11人。
自腹を切っての参加だ。
こんなことは他県では聞いたことがないという。
赤字回避に、彼らの心意気も手伝ったことは言うまでもない。

撤収を終え、別れを惜しみながら再開を誓った。
靴はグチョグチョ、焼き肉の煙で全身から香ばしい香りが立ち込める我が身を引きずり、浜線に。
もう薄暗い中、岐阜羽島に降り立つ。

どっと疲れが襲う。
この感覚こそが、時間の流れというものか。
歳をとった。
それでも新たな出発への勇気をもらった二日間であった。
そういう気持ちさえあれば、人はいつまでも青春なのだと。