若人ならずとも、SNSに興味を抱き没頭する中高年は多い。
かくいう小生も、実はFacebookにハマっている(と思っている、たぶん)。

さすがに四六時中の睨めっこはできないが、就寝前の深夜ともなれば一通りの投稿に目を通し、必要な返信を送る。
中には一面識もなく「お友達」になった方もあるが、それは例外。
そのほとんどがリアルに会って会話した人たちだ。
だからこそ彼らの投稿には興味を引かれるし、無視はできない。

人間、「遠くの親戚より近くの他人」のコトワザ通り、頻繁に存在を感じている人を、いつしか大切で親密な人と認識するようになり、それを求める。
facebook上の交流もその例外でないとすれば、繋がることの嬉しさ有難みに飢えた人たちが、この世には溢れ返っているということだ。
ならばきっと、小生もその口なのだろう。

一方で、そういう媒体の存在を鬱陶しく感じる人も少なくないが、彼らは、自己実現・自己確立ができている人なのだろうと、ある意味尊敬はするが羨む気もない。
人間は弱い生き物である。
その弱さに気付き気付かず、誰かに寄り添いすがろうとする心の動きが、人類の繁栄と、平和な社会の根底をなしてきたようにさえ思える。

しかしである、現代の熾烈な競争社会に身を置く者たちに、これ以上リアルな人間関係を拡大するほどの度胸も気力もないのが真実だ。
そこでリアルさを残しつつも、あくまでバーチャルで実害の無いフィールドに魅力を感じるのはむしろ自然な精神の発露なのかもしれない。

同時に、バーチャル世界が安全で平和だなどと思っている楽天家は既にいない。
スキルの限りを尽くして、他人のプライバシーを覗き見るばかりでなく、それを悪用しようとする輩は掃いて捨てるほどいる。
またそれとは別に、誹謗中傷の類をまくし立て攻撃することに喜びを感じる連中ももはや当たり前な存在となっている。

そういうリスクを抱えながらも、誰かと繋がっていたい、誰かに何かを伝えたい、誰かと気持ちを共有したい…などと考える人達の集まりが、facebookの魅力か!?
小生も、暫くはその心地よい世界に留まることになりそうだ。

何であろうが、それを批判する輩は必ず出現する。
批判ほど簡単で気の透くことはない。
しかし小生のように、長年、組織の中で批判と中傷に晒されてきた者には、facebookの世界はむしろオアシスだ。
○○中毒などと揶揄される事象は多々あるが、これなんぞも立派な中毒要因となり得る。
facebook中毒!
なにが悪い!
人生には、楽しいことが一杯ある方がイイに決まってる。