もう何年も前から、捨て犬捨て猫、保健所に収容された犬猫を引き取り、里親を斡旋しているボランティア組織のメンバーとお付き合いしている。
協力を承諾した理由は、当初も今も、彼らの命に対する尊厳に基づいた純粋な使命感に心打たれたからに他ならない。
実際、次から次へと湧き出してくる不幸なペットたちのために、膨大な時間と空間、そして費用を費やしている姿には、心からの敬意を表したい。

世の中には、好き者の勝手な道楽だと切り捨てる人もいるだろう。
小生とて、そういった思いを完全には捨てきれていない。
しかし彼らは、そのことによって何らの経済的利益を得ようとはしていないことは確かである。
それが分かるからこそ、何かの形で関わっていけたらいいし、
むしろそれが動物医療人としての、社会的責務ではないかとさえ考えている。

しかしである、
来院する度に聞かされる世の中の不条理への不満と怒り、それを放置している行政への不信。
小生とて、長年に渡る獣医師会活動の中で繰り返し問題提起をし、改善方を訴えてきた身であれば、もっと深い処での容易ならざる現実も知っている。
それらを飲み込んだうえで、尚且つ命と向き合うことしかないのではないか。
無論、世論や行政に訴えていくことことも、この活動における車の両輪には違いはないし、強力に対応すべきと考える。
しかしそれは遅々として進まない。
だからこそ、何かをしたいと思える人が、それぞれにできることを持ち合って、できる範囲で関わっていける組織なり仕組みの構築が大事であり、その一員になれれば幸いだとの思いから採算を度返しして今に至っている。
要は、無理のない範囲の活動でなければ決して長続きはしないと断言できるからである。

ところがどだろう。
最近のボランティアからの要求には、現実的とは言いにくい内容が含まれる。

この種のボランティア活動が世に知られ、市民権を得始めたきっかけは、阪神大震災であったと記憶している。
かくいう小生も、支援物資を車に満載し夜を徹してボランティア活動に出向いた経験がある。
被災動物の拠点保護施設では、収容動物に対する詳細なカルテが作成され、各種健康診断も施され、その世話に詰め掛けたボランティアも細かく種別されたうえで活動に参加させてもらえるといった気運が蔓延していた。
当然、里親を申し出た人々には、その家族構成や、持ち家の敷地面積、経済状態そして里子に迎える動物に対する意識の度合いまでを事細かく聞き出して、資格の合否を厳しく判定し、誓約書まで取って譲渡していた。

それはそれで良かったのだろう。
そういう非常事態であったし、日本が動物愛護の国であることを内外に発信するうえではまたとないチャンスと捉える向きもあった。
しかし、今お付き合いしているボランティアの方々の取り組みは、それとは異質なものだ。
日常的な後を絶たない不要ペットの生き残りに対する、ギリギリの活動である。

そういう認識のうえで、何が現実離れしているかを挙げれば、
先ず、健康診断をしろという。
当然だろう!
しかし健康診断といっても、その範囲と深さは切がない。
それはいわゆるプライマリーなものであり、身体検査と検便程度のことでなくてはボランティア活動の域を脱すると思っていた。
それから後は、里親になった者の責任だと。
ところがどっこい、爪切り、ノミ・ダニ駆除薬の処方、ワクチン接種はおろか、ウイルス感染の有無や、血液生科学検査、時にはある種の遺伝的疾患へのDNA検査にまで及ぶ。
そんなことはブリーダーやペットショップが、自らのブランドの維持と、口うるさい?顧客相手にする、一種の営業行為だと思っている。

なぜ、そんなことまでやらなければならないのか?
何か問題を抱えたものを受け渡し、先方から苦情が来ればそれに対応しなければならないからだという。
そして多くの場合は、ボランティアが自腹を切ることになる。

馬鹿なことを言うな!
自分の子供でさえ、生まれてから先の問題には親たる自分が責任を負う。
ましてや、行き場を無くしたペットではないか。
たかがペットは言わないが、人間のそれとは比べようもない。
里親を希望した者が、その後の責任を負うのは当たり前だ。
前述の保護施設ではないが、
その辺りのことは、里親先の承諾を取り付けたうえで譲渡してもらいたい。
里親希望者が、それ以上を要求するなら、あとは自費で頼むというのが筋であろう。
そうでなければ、その我が侭を満足させるために、ボランティアのみならず我々獣医師もまた採算の取れない負担を更に背負わされることになり、一生懸命だった者ほど敗北感にに打ちひしがれて、結果的に離れていかざるを得なくなる。

こういった、ある種高邁な理念に基づく活動は、誰かの気まぐれに、他の誰かが嫌々付き合わされる構図であってはならない。
とはいえ、行政からも企業からも、そして一般市民からもろくな支援が得られない現状では、それに関わる者に多くの負担がのしかかることは仕方がない。
小生もまた、それに関わってしまった。
喫緊の、そして根底に横たわる問題は、資金不足だ!
当面思いつく方策は、やはり募金活動だろう。
ならば当院の受付カウンターにも募金箱を置こう。
そして街頭募金をするのなら、馬子にも衣装、白衣のひとつも羽織って並び、一緒になって声を張り上げようようではないか。

切りのない活動に日常生活が忙殺され、疲弊し埋もれていく毎日を送るボランティアの存在を知る人は少ない。
その理念に賛同して関わったことに後悔し、離れていかざるを得ない人も数知れない。
人の介護や看護の世界にも求通することであろうが…。

折りしも、障害者施設を襲い、入居者19人を世の中に不要な存在だとして殺害した事件が報道されている。
人間の心とはいったいどういうものか?
経済効率や合理主義では説明がつかない一見不条理の中にこそ、本当の人間らしさが光るのかもしれない。