この手の情報は、概して主観と思い入れが先行し、客観性に欠けるキライがある。
しかし、こと蕎麦に関しては話は別だ。
蕎麦というやつは食わなくても姿でその味が想像できてしまう。
最近はスマホの写真機能の性能は凄まじく、強拡大にもディテールが乱れない。
その写真から、これは旨そうだとなった店に行ってみた。
養老山系を右手に南下することほぼ40分。
なばなの里にほど近いところにその店はあった。
11:30開店の10分前に到着、まだ暖簾は出ていない。
駐車場を探そうと店の前に佇むみ店内を覗き込むと同時に、女将らしき女性が飛び出してきた。
寒空の下、丁寧に案内をしてくれる。
この時点で、この店のすべてが分かろうというものだ。
一番乗りの入店にご亭主が笑顔で迎えてくれる。
とたん、どこぞの知人と勘違いされたようで「なんだ!**ちゃんじゃない!?」
世の中にはよく似た人間が3人いるというが、これもまたご縁というものか。
SNSで知ったこと。
蕎麦はもとより、天麩羅が絶品であること。
そんなトキメキの事前情報を伝えると、嬉しそうな人懐こい笑顔が返ってきた。
定番の天麩羅せいろを注文。
本日の蕎麦は、会津喜多方の地粉をこねたものだという。
箱に並べた生麺をわざわざ見せてから茹でにはいる趣向が憎い。
想像通りの料理が出てきた。
蕎麦は細麺。
艶と光沢、透き通り具合、角の立った蕎麦切りの技、どれをとっても申し分ない。
天麩羅は衣のふっくら感が強調されていたが、いかにもカラッとした感が漂う。
油は米油を使用しているいう拘りぶり。
香り、甘み、歯ごたえ、喉越し、どれをとっても中々のものだ。
さくさくの天麩羅の食感も好感が持てる。
たかが蕎麦。
確かにそういう蕎麦は多い。
しかし、本当に美味い蕎麦を食べられるなら、一日がかりで出向いても苦にはならない。
そんな思いにさせてくれるのも蕎麦の魅力である。
「石臼挽きそばいとう」
この店もまた、そのリストに載せよう。
連休最後の今日は、思わぬ幸運に恵まれた一日であった。