新聞の記事である。

飲み会は、神代の昔から絶対的コミュニケッション スタイルとして定着している。
そして我々シニア世代のオッサンにとっては、仕事や義理の延長ではなく好んで求める享楽の場でもある。
どんな会社でも、「懇親会」ともなれば真っ先に浮かぶマストアイテムだ。
過去にもいろいろな意見はあったが、飲み会に勝る代替案が出たこともなく、英々と繰り返されてきた。

しかしこのところ様子が変化してきたことを実感している。
小生が属している主な団体の中にも、こうした「宴会」離れが顕著化し、参加人数は減少の一途を辿っている。
というより、参加者が固定化してしまっているから減るのは当然だ。
要は、好き者だけの勝手な楽しみとしての認識が広まっている感がする。

極め付けは、我が獣医師会の会議の席上「そんな不公平で無意味な事業への予算投入は止めてほしい」などと真顔で発言する会員(女性)のいることだ。
だったら100%自腹なら良いのかと思えば、「私、そういうの趣味じゃない!!」の一言で終わる。

記事は、参加者双方の心がけ?で改善できるような論調だが、果たしてどうか?
人間、そんな簡単に変われるのなら誰も苦労しない。
ましてや酒の席である。

酒とは本来、自己を解放しその場の仲間と一体化するためのものだった。
しかし近年、「多様性」の尊重が叫ばれ、それは個人のありようにも及び、「個人主義」がむしろカッコイイ個性のように位置づけられた。
個人主義とは、本来「思いやりと、バランス感覚」に裏打ちされたものであるはず。
でなければ、それは単なる利己主義でしかない。
しかし前出の女性会員の発言のどこにそれを見出せばよいのか。
誠に悲しい。

それは極端な例だとしても、そいう風潮が蔓延している事実は否めない。
結局、飲み会に参加するメンバーはどんどん狭まり固定化してくわけだ。

それならそれと割り切ろう、時代なのだ。
そういうことを考えるのが、本当にメンドクサくなった。

酒は、小生にとって人生に色を添え、深淵を覗かせてくれる切っても切れない相棒だ。
良くしたもので、ご同輩は少なくない。
やはり本当の飲み会とは、利害を超えた同じ価値観を共有できる相手と過ごす数時間の中にこそ意味がある。

とはいえ、馴染みの酒場で一人吞む酒の旨さは格別。
所詮、ただの酒飲み親父なのだ。