なんということだろう。
二月の投稿がない。
スマホのギャラリーには撮り貯めた写真がぎっしりなのだが…。
まっ、そんな気分の時があってもいいじゃないか。

三月の声を聞いた途端、厳しい寒さも緩み、日が長くなったのを実感する。
来月からの殺人的な忙しさを思うと気が滅入るが、有り難いことと暫しの安息を楽しみたい。

これでも小生、日本園芸協会認定「盆栽士」の資格を持っている。
松を中心に十鉢ほどを丹精?しているが、どれも手元に置いてから既に三十数年が経った。
とはいえ、他人にお見せできるような代物ではないが、小さな自然と向き合う大切な時間の相手をしてくれている。

「盆梅展」に出かけてきた。
盆梅は、通常の盆栽とは一線を画したジャンルといっていいだろう。
開花の時期しか登場の場がないこともあるが、それを愛でる愛好家の人柄にも関係しているように思われる。
比較的、大物盆栽が多いのも、花を付ける枝張りや高さのある姿美を要求されてのことだろう。

当地でも市民会館を会場に毎年開かれているが、谷汲観光協会での盆梅展は一際盛大で、見事な作品が並んでいた。
圧巻は、樹齢150年の古木。
荒れた幹肌と風雪を耐え忍んだ枝の屈曲の妙。
盆栽の神髄は、作為を感じさせないデフォルメによる、自然の姿の再現にある。
それには単なる仕立て技術の習得では得られない、作者の感性が不可欠だ。
言い換えれば、作者の自然観、人生観、人間性までが滲み出る。
それは鑑賞する者に、「お前な何者か」と問いかけてくる。
両者に生じるシンパシーによって、優れた作品には惜しみない称賛が贈られるのだ。
とはいえ、小生にどれほどの鑑賞眼があるかは甚だ疑問ではあるが。

当日は盆梅展に先立ち、先ずは腹ごしらえと行き付けの蕎麦屋に。
いろいろ食べ比べてみたが、この頃は「天ぷらせいろ」と決めている。
安定の味はもとより、素朴で丁寧な仲居の対応が安心感を誘う。

盆梅展の会場は、西国第三十三満願霊場 谷汲山華厳寺 の参道沿いにあった。
お参りせずに帰るのはいかにも失礼。
少々きつい坂と階段を登り本堂に辿り着く。
ご本尊を前に、切のない願い事はやめておこう。
心を無にして、日頃の感謝だけを申し上げた。
お賽銭は二十円!
二重のご縁に通じ、縁起の良い金額だと聞いた。
しかし地獄の沙汰もなんとやら…。
ご利益は期待できそうにない。